2025年10月ドイツのベルリンで欧州臨床腫瘍学会(ESMO)が開催されました

ESMOってどんな学会?

まず、ESMO(European Society for Medical Oncology)は、がん医療・研究の分野で非常に権威ある国際学会です。世界中から研究者・臨床医が集まり、新しい治療データが発表される場として、今後の標準治療を変えるような発表があります。今回の学会でも、早期(根治をめざす)乳がん分野で、現在の標準治療を変える可能性”を示すデータが発表されました。

試験の背景と対象となる方

今回のDESTINY-Breast05試験は、早期の「HER2陽性乳がん」で、特に ネオアジュバント療法(手術前に抗がん剤+抗HER2療法を行う治療)を受けたあと、手術してもまだ「残ってしまった(残存している)浸潤(=がん細胞が残っている)病変」がある方を対象にしています。
このような「手術前治療をしたにもかかわらず、手術後にがんが残っている」状況は、再発・転移のリスクが比較的高いとされ、より手厚い治療が検討されてきました。これまでこのような患者さんに対して、日本でも2020年8月から術前化学療法後の手術後に Trastuzumab emtansine (T‑DM1) が保険適応となり、標準治療になっていました。

今回発表された試験の内容

この試験では、術前化学療法後に残存病変ありの高リスクHER2陽性早期乳がん患者さん約1,635人を、Trastuzumab deruxtecan (エンハーツ)群とT-DM1群の2群に1対1に無作為に割り付けて比較しています。

エンハーツは、HER2に対する抗体薬物複合体(ADC)という「抗HER2抗体+がん細胞内で働く薬(トポイソメラーゼI阻害薬)を結合させた新しいタイプ」の治療薬です。 手術後の補助的治療として、どちらが再発・浸潤のない状態(侵襲性疾患再発または死亡が起こらない状態)を長く保てるか、という「侵襲性疾患無再発生存(IDFS)」が主要評価項目となっていました。

主な結果(中間解析)

米国ピッツバーグのGeyer先生の発表によれば、エンハーツを用いた群では、T-DM1群と比べて 侵襲性疾患再発または死亡のリスクが約53%減少 しました(ハザード比=0.47) 3年時点での再発なし+生存の割合(3年IDFS率)は、エンハーツ群:92.4% T-DM1群:83.7% という数字でした。さらに、遠隔再発(転移)や脳転移の発生もエンハーツ群で少ない傾向が認められています。

安全性に関しては、エンハーツ群/T-DM1群ともに「グレード3以上の有害事象」の発生率は大きく変わりません(およそ50%前後)ですが、 エンハーツ群では「間質性肺疾患(ILD)の副作用」が9.6%にみられ、T-DM1群では1.6%という数字でした。 間質性肺疾患の多くは軽度~中等度で、適切な対処が行われれば可逆的なものが多ったという報告もされています。

患者さんにとっての意味・展望

このデータは、術前化学療法後にもがんが残っている「高リスク」のHER2陽性早期乳がんの患者さんにとって、エンハーツという新たな選択肢が「再発を減らせる可能性が高い」という大きな希望を示してくれています。これまでの標準T-DM1よりもさらに良い成績が出ており、この条件の方には治療方針を見直す機会になるかもしれません。
ただし、次のような注意点もあります。

・この中間解析はフォローアップ期間がまだ限られており、長期の安全性・全生存(OS)データは成熟していないという点

・まだ論文発表がされていない点

・間質性肺疾患などまれながら重篤な副作用リスクもあり、治療の際にはきちんとモニタリングが必要です。

ご担当の医師と「私の場合、このデータはどれくらい当てはまるか」「治療のメリット・リスクはどうか」「今後どのようなフォローが必要か」をぜひ相談されるとよいでしょう。

身体的・精神的な負担もある中で、こうした新しいデータが出てくることで乳がんの治療成績が向上することは、とても大きな希望になります。ただし保険診療で使用が可能になるのはもう少し時間がかかると思われます。

 

大阪ブレストクリニック 院長 芝 英一 【認定資格】 大阪大学医学博士 日本外科学会認定医、専門医、指導医 日本乳癌学会専門医・指導医 NPO法人日本乳がん検診精度管理中央機構認定読影医 日本内分泌・甲状腺外科専門医