Her-2(ハーツー)陽性乳癌の治療の進歩

トラスツズマブ(ハーセプチン)が開発される前は、Her-2陽性乳癌は悪性度の高い予後不良の乳癌として知られていました。Her-2と呼ばれる乳癌細胞の表面にあるタンパクは乳癌の増殖に関係し、Her-2陽性乳癌は乳癌全体の15%程度に認められます。

2000年頃にハーセプチンと化学療法剤を使った進行再発乳癌の治療で、良好な成績が発表されるようになりました。その後、2005年のフロリダ州オーランドで開かれたアメリカ臨床腫瘍学会の発表では、Her-2陽性乳癌の早期乳癌において、術後補助療法(手術後に再発を予防するための治療)に化学療法のハーセプチンを加えることによって、予後が大幅に改善したことが発表されました。そのとき私も会場で聞いていましたが、その演題は緊急発表の形で発表され、臨時の会場では数千人の人がその発表に聞き入っていました。その発表後、途端にほとんどの聴衆が立ち上がって大拍手をし、司会の先生は、発表者はまるでロックスターになったようだと説明しました。

トラスツズマブを使用する群と、使用しない群での有意差は天文学的な差となって出てきました。日本でも、2001年にHer-2陽性乳癌の転移再発例に保険適用となり、2008年にHer-2陽性乳癌の手術後の補助療法が保険適応となりました。その後、Her-2陽性の乳癌に対する治療薬としてラパチニブが発売されました。当院では、市販前の臨床治験にも参加し効果は確実にあるのですが、効果の持続期間が短いため、市販後はあまり沢山の患者さんに使われることはありませんでした。

その後開発されたHer-2陽性の乳癌の進行再発例に対する抗Her-2薬は、パージェタという薬剤です。この薬剤は、トラスツズマブとはHer-2の細胞外の異なる部分に対する抗体です。ハーセプチンとパージェタを組み合わせ、さらに化学療法を追加することによって効果がより強く発揮されます。2013年日本で市販された当初は、進行再発乳癌に対する適応のみでしたが、2018年から術前化学療法や術後の補助療法としても使用できるようになっています。またその後に開発された治療薬としては、2014年にカドサイラが出てきました。この薬剤は、トラスツズマブにDM1と言う化学療法剤をくっつけた治療薬で、Her-2陽性細胞に結合し、結合後は細胞内に取り込まれます。細胞内で抗体と抗癌剤をくっつけているリンカーと呼ばれるものが分解され、抗癌剤の効果を細胞内で発揮するものです。新しいタイプの抗癌剤で、Her-2陽性細胞とその周囲の細胞のみに効果もたらすことで副作用が軽減されています。2020年よりカドサイラは術前化学療法で癌細胞が残存したHer-2陽性乳癌症例に対して術後補助療法として使用できるようになりました。

最も新しい抗Her-2薬として、エンハーツが2020年より使用できるようになりました。これは日本の製薬会社である第一三共が開発した薬剤で、仕組みはカドサイラに似ていますが、トラスツズマブ一つに対する抗癌剤(トポイソメラーゼⅠの阻害剤)の量が多いため、かなり効果の強い抗Her-2薬です。現在日本ではエンハーツはHer-2陽性の転移再発乳癌に対しての適応のみですが、最近この薬剤が、Her-2が陰性の転移再発乳癌に対しても効果があることが示されました。これは今後乳癌に対する治療戦略を変えるような大きな発表でした。

このようにトラスツズマブを始めとした抗Her-2薬が開発されるまでは、Her-2陽性の乳癌は予後不良の乳癌でしたが、現在では治療のしやすい乳癌になっています。

大阪ブレストクリニック 院長 芝 英一 【認定資格】 大阪大学医学博士 日本外科学会認定医、専門医、指導医 日本乳癌学会専門医・指導医 NPO法人日本乳がん検診精度管理中央機構認定読影医 日本内分泌・甲状腺外科専門医